宇美八幡宮参拝の栞
福岡市外宇美町鎮座
- 祭 神 並に鎮座 神功皇后 応神天皇 玉依姫命 住吉大神 伊弉諾尊
- 本営は宇美八幡と称し奉り応神天皇御降誕の霊地にして日本書紀に『皇后新羅より還り給う十二月十四日誉田天皇(応神天皇)を筑紫に生み給う時其の産所を号けて宇美という』又古事記に『其の御子生み給へる地を宇美とぞ謂けける。』とあることが奉祀の濫觴である。
- 社 徳
- 応神天皇降誕の霊蹟として特別の由緒を持ち古来皇室を始め国司藩主を始め一般庶民の崇敬篤く天皇御在世中広く海外の文化を摂取して文化を興し国威を輝かされ農耕を興し殖産工業を奨められ又母神功皇后の御胎内にて遠く海外に雄飛せられる等の御神徳の外特に御誕生の御地にて安産育児の神として霊験著しい。
- 近衛天皇御誕生御祈願
- 今鏡のゆう本(八百年前)第三男山の条に左の文あり
鼈海の西にて宇美の宮御産平安たのみあり
鳳城の南に男山皇子誕生疑ひなし
皇后陛下御代拝 大正十一年二十二日御参拝あらせらる
良子女王殿下御参拝 大正十二年五月十五日御参拝あらせらる
閑院宮若妃殿下 昭和六年八月十二日御参拝あらせらる
久邇宮邦英王殿下 昭和七年一月一日御参拝あらせらる
境内
森厳幽邃にして労樟枝を交え大木亭々として聳え天下の偉観を呈す
諸人をはじくむ誓
ありてこそ
うみの宮には
あとをたれけめ (藤原家隆)
かけまくも
畏こけれども産の宮
我が皇神に
しりしあらませ (慈鎮)
- 神 木
- 一、子安の木
神功皇后三韓より御凱旋後蚊田の里に産殿を営ませ給ひ槐の枝を折りて之に取りすがらせ給ひて安々と御安産ましましける其枝を逆に地にさしありしもの次第に生茂れり其の当時の木は変り居るも其子を絶さず其処も変えずに今あり
二、湯蓋の森
大樟なり目通り四十八尺(約十四メートル余)
三、衣掛の森
大樟なり目通り七十七尺(約二十メートル余)
境内には樟の大木三十余本あり其内此樟の下にて産湯を仕え奉れるとき其の枝葉繁りて湯船の上に蓋の如くなれり依りて湯蓋の森と云う又産衣を掛けたるを衣掛の森と云う此両木は史蹟天然記念物保存法による保護
- 湯方神社乃子安石
- 当社は御降誕の時産婆の職を仕え奉りし神なり安産及小児生長を祈る其傍に子安石あり安産のため又は小児生長のため此石を持帰りて御願成就の時外に一個の石を添えて返し奉る又目を閉じて子安石を手に採り妊娠の男女を占う風習もあり
- 産湯水
- 境内の北隅にあり御降誕の時此水を産湯に用い給ひしより今に至るまで妊婦拝受して安産を祈る。
(子安の木、衣掛の森、湯蓋の森、子安の石、産湯の水等は安産信仰の民俗資料として県重要文化財指定)
- 胞衣が浦(安産信仰に対する民俗資料として県重要文化財指定)
- 御降誕の時御胞衣を納め奉りし所を胞衣が浦という境内の北二町神苑内にあり
- 小児生長祈願(安産信仰に対する民俗資料として県重要文化財指定)
- 無事成長のため五才、十才又は十五才等成長預けの祈願をかくる慣例あり『子供あづけ』と称して年々数百千人を数う
- 祭 日(御降誕より平成二十年まで千八百八年)
- 御誕生祭(例祭)一月五日
子安祭 四月中旬 隔年御神幸
仲秋祭(放生会)十月十五日十六日
子供祭 十一月十五日
月次祭 毎月五日
式年祭 二十五年毎
- 境内末社
- 聖母宮 祭神 神功皇后
恵比須社 祭神 事代主命
湯方社 祭神 湯方殿
山神社 祭神 大山袛命
武内社 祭神 武内宿禰
祇園社 祭神 素盞鳴尊
稲荷社 祭神 保食神
地主社 祭神 大地主大神
- 宇美神楽
- 郷土の神事芸能として歴史も古く、優雅な楽と舞の手風も良く、昭和四十八年県無形文化財の指定を受け現在に至る。
- 町立歴史民俗資料館(入場無料 祝祭日・月曜以外開館、午前九時三十分~午後四時)
- 四王寺出土品を始め町内の貴重な民俗資料が数多く展示されております。
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