このページでは,古文書・絵画・本等での鮎の絵や写真を取り上げてみました。
- 宇治川の網代
1780年(安永9年) 都名所図会 巻之五 前朱雀再刻 59頁
『侍中群要に山城国宇治の御網代より日毎に鮎魚を進るとなんかけるも,今は此例なくて,弥生の頃は鮎汲とて平等院より十町ばかり川上櫃川のわたしのほとりにて,人々は巌の肩にならび居て,早瀬を登る若鮎を汲上ゲ汲上ゲ興に乗じき。李白が詩に万戸候も幕すとは此たのしみに換がたきをいふ也。又氷魚をとりて毎年九月より十二月までこれを貢よし,花鳥余情に見えたり。
拾遺
数ならぬ身をうぢ川の網代木におほくのひをも過しつる哉
読人しらず』
(画像・引用文:国際日本文化研究センター,著作権は国際日本文化研究センターにあります)
- 大堰川の魚釣り (大堰川)
1787年(天明7年) 拾遺都名所図会
巻之三 後玄武・右白虎 41頁
『大堰川漁釣鉢・一ロに申もをろか鮎と釈迦 江戸一』
(画像・引用文:国際日本文化研究センター,著作権は国際日本文化研究センターにあります)
- 桂川宴舩(桂川船遊)
1799年(寛政11年) 都林泉名勝図会
巻之五 19頁
『桂川
宴般
飛鮎のひかりや月のかつら川 浪花二柳』
(画像・引用文:国際日本文化研究センター,著作権は国際日本文化研究センターにあります)
- 鮎の図
1832年 魚づくし 歌川広重(天保3年頃版行)
『秋の雨ふりても水のかけきよくさひはみえさる玉川の鮎
春園静枝』
(画は復刻版)
- 鮎と紅葉
1834~1839年(天保5~10年) 肉筆画帖
葛飾北斎
全10図一帖からなる晩年の傑作とされる。
- 神功皇后・武内宿禰
1878~1882年(明治11~15年)
明治期錦絵 大日本史略図会 月岡芳年
「日本書紀」をもとに描かれたものと考えられる。
- 多摩川の鮎漁
1895年 錦絵 風俗錦絵雑帖 楊洲周延(明治28年8月)
三枚続きの錦絵。楊洲周延が多摩川の鮎漁の様子を描いたものとされる。
(画像提供:国立国会図書館,著作権は国立国会図書館にあります)
- 富士川の友釣
改造社「釣の本」佐藤垢石著より
「・・・相模川と共に盛況なのは富士川である。身延驛から波高島方面へかけて三十匁四十匁という大ものが盛んに出る。七月下旬には百匁といふ奴が時に出るだらう。・・・」とある。
注)1匁 = 3.75g
外部リンク:
参考文献:
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